オーラとか気とか(9) 黒い光?【1】の補足 のつづきです。
この「オーラとか気とか」のシリーズは、
私が自分の手の観察結果を書いています。
多くの賢い人たちによって本気でこうしたことについての研究がなされたら、
たぶん本当に面白い発見があって、新しい分野が始まると思ってます。
宗教と学問は、どんな器に入るかで、
つまりどの程度の人間に扱われるかで、全く形を変えるものです。
キワモノ扱いではなく、
本気で多くの優秀な人材に研究される日が早く来ることを望みます。
今回は
オーラとか気とか(2) いろんなタイプに書いた中の
【6】
あとは、手の表面から時々噴き出すもの。
これも【4】同様、とても小さいものです。
について。
これについても、太陽の画像におんなじような感じに見えるものがあるので
そちらを載せます。
これは手からごくごく小さく時々噴出してるように見えるもので、
ちょうど、太陽のこんな活動と同じような感じに見えます。

噴出してるところです。
画像はナショナルジオグラフィックからのものです。
手では、こんなにたくさん見えませんが。
手では、こんな感じで見えます。

画像は、wikipedia の『紅炎(プロミネンス)』からのものです。
色は、気持ち黄色っぽいかな?の白です。
手の表面から、ごくごく小さいですが、
こんな感じのものがときどき噴出しているように見えます。
ただし、画像は太陽なので、全体が赤く燃えている中での現象となっていますが、
手はこんな太陽のような発光はありませんので、
暗い表面から時々こうした紅炎状のものが噴出す感じで見えます。
これまで、手で見えることを書いてきましたが、
とても太陽で確認できる現象と似ていると思います。
結局、人間も太陽も基本的におんなじ、
おんなじルールの下で形作られ活動してる ということなんだと思います。
あらゆることは階層で、同じルールで構成されてるという持論とも合います。
こうした不思議系の話になると、
よく宇宙と結びつけて語られることがありますよね。
私はずっと否定的だったんですが、
こうした手で起こる現象や
左側の「タグ」にある 『"神"について』 で書いているようなことを実際経験すると、
宇宙から地球だけを切り離して考える方がおかしいように思えてきています。
宇宙があって太陽があって地球があって人間があって、
全部おんなじルールの下で構成されてる階層構造なんだろうなと。
それでいくと、きっと地球もおんなじように光を出していて、
宇宙全体でもきっと、外側から見ると光ってるんだろうな なんて
今のところイメージしています。
あくまでもイメージなので、
今後の経験や思考の変化で変わっていくかもしれませんが、
今のところはその辺りで落ち着いています。
これに絡んでもう一つ不思議な経験をしてるんですが、
現時点で、「でもなんでよ?」に答えが出ない、
自分の中で今ひとつ納得がいかない内容なので、
いつか「ああ、たぶんこういうことなんだろうな」の思いに至ったらエントリーします。
最後に余談というか、ついでなので少し。
私は、こうしたことについて、知識はほとんどありません。
よくわからないんですが、この手の話は、
オカルトとか(かな?) そういう方面で扱われる話なわけですが、
そこで言われている話について、核の部分は間違ってないかもしれません。
例えば、実体験で言えば、
第三の目とそこから何らかのものが出る、といわれている何らかの現象は、
実際あると思います。
それから、松果体かどうかはハッキリしませんが、
何らかの、脳の中心部分にあるものが
何らかの作用に関係してるっぽい経験もあります。
ただ、そんなの、経験したところで、実際はどうってことないものです。
経験したところで、
こういうことに「あこがれる」人が「期待している」ようなことは何もありません。
何も変わりません。
言われていることの 本当の核心部分は間違ってないかもしれませんが、
いろいろ まことしやかに言われていることの多くは、
過度、どころか妄想に妄想が重なって作り出された幻想のようなものだと思います。
例えば、松果体を鍛える、みたいな言葉を目にしたりしますが、無意味だと思います。
鍛えてどうすんの、何期待してるの? ということです。
この手の話って、これに尽きると思います。
そんなことしてみても、フタを開けてみればどうってことない。
正直な感想はそうです。
食べ物番組なんかと一緒で、
大しておいしくもない 大したことない料理を、
そう言ってしまっては そこで終わってしまうので、
もっともらしいこと言って盛り上げて番組にする、とかとおんなじ。
あとは、それを見てわざわざ食べに行ったんだから「感動したい」
という自分の思い込みが、それを「おいしい!」と思い込むだけ。
こうした現象でまことしやかに語られていることの多くも、
基本的にこれと同じだと思います。
一つの現象に過ぎないものを
人間の「欲」が加わることで過度に脚色されて、
受け取る側の「期待という欲」に受け止められて
さらに独り歩きを始める、というか。
そもそも、そうした「能力」と言われているモノが発現したとしても、それを
どう分析・理解して、どう表現して、どう伝えるか、
の一番大事な部分は、
そうした能力とは別の、いわゆる各人の知識その他の厚さに拠るわけで、
そうした一般常識的な部分が甘い場合は、
分析・理解や表現や伝達に使える手持ちのコマも少ないわけで。
例えば、以前パキスタンで、
何で日本人が目が悪いか知ってるか?
と 私に聞いてきた人がいて、続けて、
日本人は、毎日風呂に入る(湯船につかる)から目が悪いんだ、
××大学の医学部の教授が言ってた
と教えてくれました。
日本人にはメガネをかけた人が多くて(視力が悪い人が多い)、
パキスタンにはほとんどいない。
この事実を
なんでだ???
と彼らなりに「科学的」に考えたところ、
日本人にあって、パキスタン人にないものとして、
「風呂に入る」習慣があったわけですね。
彼らの持ってる知識と分析力を総動員すると、こういう結論になるわけです。
まぁ、何ごともこんな感じです。
他との間には、大なり小なり温度差があるわけです。
誰が言ってるから正しい とか 正しくない とかではなく、
言葉を経由する限り、こうしたことは必ず付いてまわるものです。
私は欲してそうなったわけでも、ましてや 何か訓練したわけでもなく なので、
コントロールが出来てないんだ、使い方がわかってないんだ
と言われれば それまでですが、
ただ、一般的には、そうした実体験のない人が、憧れとかイメージを膨らませて、
想像に想像が重なって、なんかヘンな話になってるような気がします。
実際は、そんなふうな状態になったところで、
自分は基本的に同じ自分で、どうってことないものだと思います。
もうこれが好きなのよ、っていう 「趣味」の人 とか、
自己研磨の一部でライフワークです とかまでなってる人は、
それはそれで思いっきり楽しんで下さい^^ でいいんですが、
不思議な力を手に入れたい、
手に入れたら自分が変わる
的に思い込んで、目的になってる、
○○ のために △△ を鍛える、とかについては、
そんなくだらないことに、時間やエネルギーを使うんじゃなくて、
己をわきまえたり律したり、人に対して意地の悪い見方をする自分を戒めたり、
人を見下さず、親切に接したり、勝手に自分が作り出した劣等感に動かされたりせず、
当たり前の普通のことを 当たり前に坦々とこなし続けていくことに日々努めることの方が、
はるかに大切だと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
おわり
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